中山栄治「私の一冊」

ノーベル文学賞作家の作品を読んでみませんか。

カズオ・イシグロ 「私を離さないで」 ハヤカワ文庫

ノーベル賞ってどんな賞????爆薬ダイナマイトを発明し、巨万の富をなしたスウェーデン人アルフレッド・ノーベル。彼は生前、彼が巷で「死の商人」と呼ばれていたことを嫌い、生涯独身であった自分が亡きあとは、その遺産を人類のために使って欲しいと望みました。そうしてその遺志によりノーベル財団が設立されその運用益から、毎年、人類のために最大限に貢献した人々に賞が与えられることとなったのです。現在は、文学賞のほか、物理学賞、化学賞、生理学医学賞、経済学賞、平和賞の6つの部門に分かれています。受賞者には賞状と賞金1000万スウェーデン・クローナ(円換算で約8900万円)と金のメダルが授与されています。ノーベルは少年時代から文学に関心を寄せており、母国語のスウェーデン語のほか、英語、フランス語、ロシア語、イタリア語、ドイツ語にも通じており外国文学を翻訳することを趣味にしていたといいます。ここから文学賞もノーベル賞として採用されるようになりました。文学賞は作家の作品及び活動全体に対して与えられ、一つの作品が対象となっているわけではないとされています。ですから、本日紹介する作品を含めてイシグロさんのこれまでの作家活動全部が受賞の対象となったものです。なお、今回の受賞理由としてノーベル財団は、彼は「壮大な感情の力を持った小説を通し世界と結びついているという我々の幻想的感覚に隠された深淵を暴いた」としています。

ノーベル文学賞を受賞した日本人作家といえば1968年の川端康成さん、1994年の大江健三郎さんのお二人です。残念ながら村上春樹さんはまだですね。

いつものように作者の略歴です。カズオ・イシグロさんは 1954年長崎県生まれで現在63歳です。6歳にして日本人の両親とともにイギリスに移住します。78年ケント大学文学部、80年にイースト・アングリア大学大学院を各卒業後は、ミュージシャンを目指していましたが、挫折して早々と文学者に転じます。82年に処女作の「女たちの遠い夏」でイギリス王立文学協会賞を受賞します。翌年イギリスに帰化。89年35歳にして発表した第3作目「日の名残り」でイギリス最高の文学賞であるブッカー賞を受賞してその地位を不動のものとします。この作品は年老いた執事から第2次大戦前後の世を見た有様を記したものであり、アンソニーホプキンスの主役で映画化もされました。

本日ご紹介する「私を離さないで」のジャンルはSFです。これも映画されていますし、日本では舞台化され、2016年には綾瀬はるか主演でテレビドラマ化もされています。綾瀬さんは主演に先立ちロンドンで原作者イシグロさんと4時間以上にわたり対談しました。ジャンルはSFとされるストーリーですが、いわゆるクローンを扱った作品です。クローンの技術は動物実験ではすでに完成されたといわれていますが、これを人間について行うとしたら、その目的は何だと思われますか。医学的に不治の病でも病に侵された臓器に代わり健康な臓器を移植することができるとすればどうでしょうか。

本作品はクローンと臓器移植を扱うことによって、長く生きられないクローン人間の若者の生をテーマにしているのです。

現実にクローン人間がいるとしてそこから臓器を取り出すとすればクローン人間はどのようにして生まれ、育てられ、どのような生活があるのでしょうか。本作品は一言でいえばそのクローンの社会を描いているのです。

舞台はクローン技術が生まれた1990年代です。主人公は介護人キャシー30代の女性です。彼女は提供者の世話をしています。  提供者は提供者となるまではヘールシャムと呼ばれる外の世界と完全に隔絶された施設で育てられます。ここで育てられた子は大人になって施設を出るとコテージへ移り、時機を見て介護人となり、最終的には提供者となることが運命づけられていました。実はキャシーもその施設で生まれ育ったのでした。そのキャシーの施設での現在と過去との回想によりこの物語は構成されているのです。ヘールシャムで育った子たちは、その世界のすべてがそこに凝縮されており、一定の年齢に達するまでは外の世界がどうなっているのか、普通の人がどういう生活をしているのかについて教えられていないのです。そもそも普通とは何なのかについてすら。ヘールシャムには保護管と呼ばれる教育係の先生がいて様々な教育を施しますが、タバコは害悪だとか、提供者として健全たることを一義にプログラムされているのです。そして定期的な健康診断が繰り返されるのです。

優秀な介護人であるキャシーは、ヘールシャムでともに育った幼馴染の親友たちの介護人を担当することにより、彼らの提供の実態を知ります。提供は提供者の生ある限り繰り返されるのです。2回で使命を全うすることもあれば、4回も続くこともあるのです。いずれ提供者なることが運命づけられているキャシーのこれまでの人生とはいったい何だったのでしょうか。という感じでラストへと進んでいきます。

作品全体として抑制された文体で暗い感じで進んでいくのですが、どういうわけか最後まで読んでみたいとひきつけられ、ふと思えば読み終わっていたという感じです。 私は、ブッカー賞を取った〈日の名残りも〉続けて読みましたが、彼の作風は完成されているというか、いずれも似たような雰囲気の重厚な作品でした。本作品、この際、ノーベル賞を取るほどの作家を知るという勉強のつもりで読んでみてはいかがでしょうか。

本作品は2008年にハヤカワ書房から文庫本にもなっており,文庫本だと450頁,864円です(了)。

弁護士 中山 栄治

私の一冊について

福岡県弁護士会所属 弁護士 中山栄治が、日々の読書感想やゴルフ体験を綴ったコラムです。