武士の本分とは
葉室 麟 「蜩ノ記」 詳伝社
歴史物,時代物といえば,司馬遼太郎さんですよね。誰もが愛した彼の作品群。私も,全集まで含めてその大半を読んでいると思います。彼の作品は「龍馬がゆく」でもそうでしたが,史実をベースとしながらも,多分にフィクションを折り込んでおり,読んでいて本当におもしろいのですが,読者としてはどの部分がフィクションか判読できなくて,ついついすべてが本当にあった出来事なんだと錯覚してしまいますよね。司馬さんは新聞記者出身でした。
本作品の著者葉室さんは小倉生まれで久留米の明善高校,福岡の西南学院大学卒業,現在は久留米在住です。地方紙(たぶん西日本新聞社?)の新聞記者をされた後,50歳くらいから文筆活動に入り,2005年,54歳で江戸時代元禄期の絵師尾形光琳,陶工尾形乾山兄弟を題材にした「乾山晩愁」で作家デビューです。そしていきなり歴史文学賞を受賞されました。その後も精力的に時代物,歴史物を書いておられます。
葉室さんは,何とこれまで過去5回も直木賞候補として連続ノミネーされており,本作品で晴れて直木賞を受賞されました。ご本人も,記者からの質問に答えて「落選はもう勘弁して欲しい」というのがホンネだったそうです。
今回の受賞作「蜩ノ記」も,もちろん時代物です。蜩(ひぐらし)とはあのカナカナと鳴く昆虫のせみのことですが,物語は,時は江戸時代,豊後の国,羽根藩でのお話しです。もちろん羽根藩は架空で実在しませんが,現在の大分あたりが想定されています。主人公は羽根藩藩士戸田秋谷です。彼はお国にて郡奉行を務めたあと,江戸藩邸にて藩の用人となりますが,なんと先代藩主の側室と不義密通し,それを見とがめた小姓を切り捨てたというカドで切腹を申しつけられます。しかし,藩主の特別の命によりこの切腹は10年後に執行するものとされたのでした。10年後とされたのには訳がありました。というのも,秋谷は学問に秀でており,その頃お家の家譜,つまり初代藩主から現在までの家系図と藩内で起こった主な事件を記載した藩の歴史書のようなものですが,この家譜の編纂にひとりで取り組んでおり,秋谷の切腹により家譜編纂が中断するのを藩主が惜しんだのでした。当時,家譜の編纂は格式を高めるものとして武家で流行しており,そこで,藩主は向こう10年かけて家譜の編纂を完成するようにと命じたのでした。秋谷は,かって自ら郡奉行を務めていた山間の村に幽閉され,そこで,妻子とともにつましい生活をしながら家譜の編纂に取り組むこととなりました。そして,はや7年の歳月が経過し,既に10年後の切腹を命じた藩主も没しています。一方,その頃,城内で刃傷沙汰を起こしてしまった檀野庄三郎。松の廊下事件ではありませんが,城内での刃傷沙汰は,当然,切腹です。それが,家老のこれまた特別な計らいで助命されます。家老から助命の代わりに命ぜられたのが,何と3年後に切腹を控えた秋谷の家譜編纂の輔佐と監視役でした。早速,庄三郎は秋谷の幽閉先へと赴き,秋谷と対峙します。庄三郎は,秋谷の武士としての有り様からすぐに疑問を抱きます。秋谷が起こしたとされる不義密通事件は,実は,えん罪ではないのかと。庄三郎は,家譜編纂のために文献と人間関係を調べるうちに,次第に藩の過去から現在にわたる不祥事の数々を目の当たりにします。そして明らかになる不義密通事件の真相とは?
ミステリー的要素が加わり,ついつい引き込まれてしまいます。秋谷切腹の日は刻一刻と迫ります。秋谷の切腹をなんとか赦免してもらう手だてはないのか。武士ならではのプライドの高さ,清廉さ,潔さ。本当に己の信念のために平気で命を捨てることができるのか。タイトルの「蜩の記」とは,秋谷が家譜の編纂を命ぜられて以降,編纂の傍ら毎日のことを書き留めた日記でした。秋谷は言います。「夏がくるとこのあたりはよくせみが鳴きます。特に秋の気配が近づくと,夏が終わるのを悲しむかのような鳴き声に聞こえます。それがしも,きたる日1日を懸命に生きる身の上でござれば,日暮らしの意味合いを込めて名付けました。」と。さて,いかがでしょうか。全327頁ですが,謎解きのラスト90頁は一気読みです。どうかご堪能ください(了)。

私の一冊について
福岡県弁護士会所属 弁護士 中山栄治が、日々の読書感想やゴルフ体験を綴ったコラムです。