ありえないサイコな先生
貴志祐介 「悪の教典」 文藝春秋
昨年まで10数年来,母校の法学部で非常勤講師として教壇に立っていました。テーマは「法曹(弁護士)の世界」で,2コマ担当して,弁護士としての日常業務から,身近な「相続と遺言」について講義していました。2単位でしたが,試験の出題採点もしました。受講生は主として1,2年生が対象で300名以上いました。その受講生が私のことを覚えているはずもないでしょうが,延べ5000名以上の学生を教えたことにはなります。いつの世も,学生は居眠りやお喋りしたりしますが,中には熱心に聴講する者(女学生が多い)もいて,前列に陣取り,しっかりノートまでとっています。講義が終わると,いつも彼女らのうち5,6名が質問をするために教室に残ります。もちろん1人ずつ丁寧に受け答えさせて頂きます。
そんなある日のこと,最後まで残っていたある女学生との会話の一幕です。
A子「先生,本学出身の○○△美という人を知っていますか?」
私 「ええと,私の1年後輩にそんな子がいたと思うけど」(ええっ,△美ってひょっとして,学生時代私が付き合っていた子じゃん。何これ?)
A子「それって私の母親なんですけど,母が先生のこと知っているから聞いてみたらって言ったので・・・」
私 「・・・」(一瞬,△美が何歳でA子を生んだのかを計算,卒業してすぐ生んでるじゃん,そうか4年の時,結婚したって風の便りに聞いてたよなあ
「あっ,そうか,知ってるよ,もちろん。へええ,そーなんだ,お母さんだったんだ,でもお母さん,君を生んだとき,まだとても若かったんだね,君が子どもなんだもんね・・・。ところでお父さんは?」
A子「父はいません」
私 「・・・」(なんでよ,なんでいないの,まさか違うよね計算合わないし・・・)
A子「両親は,私が生まれてすぐに離婚したらしいです」
私(なーあんだ,そうか,そうだよね,あたりまえ,よかった。)「それは,それは失礼なことを聞いてしまってスミマセンでした,ところでお母さんは今何をしているの?」
A子「母は今,司法書士をしています・・・」
私 「そう,それは良かったね。もう20年以上も会ってないもんねえ,今度連絡でもしてくれるように言っておいてくれるかなあ」
A「はい」
どうです? ちょっとオモシロイでしょ。それにしても月日が経つのはなんと早いことか!
さて今回紹介する作品は,高校が舞台です。サイコな極悪の主人公は英語教師蓮実聖司,通称ハスミン。開業医を父に持ち,抜群の知能を持って生まれた聖司は,先天的な障害から,共感能力,コミニュケーション能力が欠如していた。要するに感情が欠落しているのである。感情ある本当の笑顔もなく,感情による涙も流さないのである。例えば聖司が赤ん坊の頃のこと。ふつう,親が笑顔を見せると,赤ん坊は笑顔をまねるものである。だが,聖司は,そういう反応は一度として示すことはなかった。ただ,じっと,興味深そうに親の顔を見ているだけなのである。4歳になった頃,砂場に不心得者が割ったガラス瓶の欠片が埋まっていて,聖司が手を切りそうになったことがあった。だが聖司は,自分の手が大丈夫か確かめただけでその破片を取り除こうとはしなかった。・・・次に聖司の友達が不用意に砂に手を突っ込み,ざっくりと指の付け根を切ってしまった。聖司は犠牲になった子どもが砂に手を突っ込もうとしていたとき,注意するわけでもなく,ただ興味津々という顔でそちらを凝視していた,という具合である。聖司は成長するに連れ,自らの異常さに気づくことになる。そしてこれを克服するために,日常的に他人を踏み台にして正常さを装う術を徐々に身につけていくのである。幼少の頃から,自らの強い意思を貫くためには,手段を選ばず目的を達成する。それがたとえ違法行為であろうとも。自分にとって,命より大切なもの・・・「自由を奪われること」を避けるためには,自らのすべての異常行動(犯罪)を完全犯罪化してしまおうとすらするのである。中学生の聖司は,両親を不慮の犯罪(?)で失い,親戚のもとで育つことに。順調に成長し,京大に入学したものの,得るものを感じず,1ヶ月で中退した聖司は,単身アメリカに渡りアイビーリーグの有名校を卒業,MBAを取得して有力証券会社に就職する。そこで,手腕を発揮する聖司は,経営陣の悪事を知り,これをネタに恐喝を企てるが,その動きを察知した経営陣から逆襲され,アメリカを追放されてしまう。帰国した聖司は失意の中,気まぐれで引き受けた高校講師の体験から,教職が自らの天職であることを確信する。こうして,高校教師となった聖司の楽しい学園生活がはじまる。学園生活に欠かせない学生たちの悪巧みの数々,一方でこんな先生だけは大嫌いという典型のような先生のオンパレード。そんな中で聖司は,善良で有能な好青年教師を演じてみせる。もちろん,陰では,対象が邪魔者と判断されれば,ただちに知略を巡らせ排除行動に出る。なんの躊躇いもなく繰り返される排除行動。やがて,それにも限界がやって来た時,聖司が取らざる得なかった行動とは何か?
聖司は,「三文オペラ」の「モリタート(殺人物語大道歌,殺人鬼を意味する)」を愛し,その主人公である殺人鬼に自らを重ね,お気に入りのメロディとして,日頃から思わずハミングしており,このことが最終的に命取りになる。
さあ,狂喜の殺戮がはじまります。上下巻で約870頁,読むにあたり,その分量に抵抗を感じましたが,読みはじめれば3日間の読破でした。バトルロワイヤルのような,あり得ない内容の評価はともかく,十二分に楽しめました。
作者は1959年大阪生まれ,京大卒。モダンホラー作家。生保会社に勤めながら執筆活動をはじめる。30歳から作家専念。96年「十三番目の人格ISOLA」で日本ホラー小説大賞長編賞佳作,97年「黒い家」で同賞大賞受賞,ベストセラーとなりいずれも映画化されている。08年「新世界より」で日本SF大賞受賞。これを書きながら,いま私は彼のほぼ全作品を読んでいたことに気づきました(了)。

私の一冊について
福岡県弁護士会所属 弁護士 中山栄治が、日々の読書感想やゴルフ体験を綴ったコラムです。