J・F・Kといえば?
伊坂幸太郎 「ゴールデンスランバー」 新潮社
2010年のプロ野球もそろそろ終盤。私は,父の影響で,もの心ついたときから野球は阪神,巨人大嫌いでした。小学生の夏休み,甲子園球場に阪神巨人戦を観戦に行ったこと,私の敬愛する背番号22田淵幸一がホームランを打って勝ったことを誇らしく覚えています。彼は史上最強のドラフト会議といわれた,68年組です。本当は巨人に入りたかったのですが,クジで阪神になったのでした。同期に,山本浩二(広島),星野仙一(中日),有藤(ロッテ),山田,福本,加藤(阪急),東尾(西鉄)と蒼々たるメンバーがいます。彼の飛距離のある滞空時間の長い美しいホームランは最高でした。私が観戦に行けば,いつもかっ飛ばしてくれるのです。巨人の王貞治と競って10本差をつけてホームラン王を取ったことが1度だけありました。王選手が競合していなければ田淵がずっとホームラン王を独占できたはずでした。ミスタータイガースと呼ばれた彼は,打倒巨人を果たせず,一度もセリーグ優勝を経験できずに,西武側真弓(現阪神監督),竹之内,若菜らとの複数交換トレードでライオンズに移籍しました。このとき彼は球団に対する失望感で一杯だったそうです。しかし,主砲として移籍した田淵は,ライオンズで優勝を経験することができました。セ・パ両リーグでシーズンホームラン43本以上を記録したのも彼だけです。阪神は真弓に加えて,掛布,バース,岡田の布陣のダイナマイト打線で85年に,33年ぶりにリーグ優勝を果たし,日本シリーズも制しました。奇しくもこの年は,ハレー彗星がやってきて,パリーグはライオンズが優勝し,かつ私が司法試験に合格した年でもありました。ちなみに,私が阪神ファンをはじめて苦節17目の珍事でした。田淵移籍後のライオンズは,既に本拠地を福岡から所沢へ移していましたが,大学生だった私は,それまで興味のなかったパリーグにも惹かれるようになり,平和台球場にはよく足を運びました。今,福岡では地元球団としてホークスが定着していますが,意外にも田淵は,ダイエーがホークスを買収した当初,弱小ホークスの監督を2シーズン務めているのです。その後,彼は,星野監督率いる阪神の打撃ヘッドコーチ引き受け,03年,自身悲願の阪神優勝を経験し,ワールドベースボールクラシックにも同様にヘッドコーチを務め,日本の優勝に貢献しました。現在,田淵は阪神OB会の会長です。この原稿を書いている9月8日現在,阪神は,2位中日に0.5ゲーム差の薄氷の首位です。がんばれタイガース,優勝してね。
さて,JFKです。つい数年前まで,野球でJFKといえば,阪神のストッパー3投手のことであり,Jはジェフ・ウィリアムス,Fは藤川球児,Kは久保田智之各投手のことを指しました。阪神が6回でリードしていれば,JFKで7から9回まで押さえて勝つという必勝パターンが出来ていたのです。ウィリアムスが肩を痛めて退団してからは,JFKというタームが聞けなくなりました。
だけど,賢明な読者の皆様はもちろん知っていますよね。はい,もともとJFKとは,1963年にテキサス州ダラスで暗殺された合衆国第35代大統領ジョン・フィッツジェラルド・ケネディのことです。彼は遊説先のダラスでオープンカーに乗ってパレード中,衆人環視の中,何者かに後頭部を狙撃され死亡しました。この狙撃映像は,テレビで何度も放映されましたので,一度はご覧になったことがあるかと思います。犯行から数時間後に,犯人は,狙撃場所とされたテキサス教科書ビルに勤務していたリー・ハーベイ・オズワルドと断定され逮捕,一件落着かに見えました。しかし,オズワルドは逮捕から2日後,拘置所に移送されるダラス警察署の地下通路にてマスコミ等の雑踏の中で,近づいてきたジャック・ルビーにより射殺されます。本件捜査はFBIが担当し,その後の捜査により,オズワルドの単独犯行説は様々な点で無理があり,彼は替え玉に過ぎなかったのではないか。結果,軍産複合体の意を受けた政府関係筋が主犯であるとの説が有力視されました。しかし,当時のアメリカ政府は,事件真相に迫る証拠物件の公開を,2039年までの間,制限することとしたため,その真相は未だ藪の中です。
今回紹介する作品は,作者が意識して,JFK暗殺事件を日本の首相暗殺に重ね合わせて描いたものです。すなわち,冒頭で宮城県出身の新首相金田が仙台にて就任凱旋パレードをする中,ラジコンヘリ爆弾により暗殺されてしまうのです。ところが,あらかじめ,入念に状況証拠がねつ造され,どういうわけか主人公青柳雅春がオズワルドよろしく犯人とされてしまいます。
事件当時,現場付近に駐めていた車内にいる青柳と旧友。その旧友は,実は,首相暗殺陰謀犯グループに脅迫され,青柳を犯人の替え玉に仕立てるよう無理矢理荷担させられていたのでした。その陰謀計画も最終段階を迎え,あとは青柳を犯人として始末するだけとなったとき,旧友は翻意します。曰く,「金田はパレードで暗殺される・・・おまえ,オズワルドにされるぞ・・・時間がねえよ。おまえ,逃げろ。たぶん,このままここにいると相当まずいことになるぞ・・・いいか,青柳,逃げろよ。無様な姿を晒してもいいから,とにかく逃げて生きろ。人間,生きててなんぼだ」青柳が車を飛び出し,背後を振り返ると2人の制服警察官がいる。1人が銃を構えた・・・青柳は地面を蹴り,逃げた。さあ,ここからわずか2日間の短い逃走劇のはじまりです。青柳は逃げます,追っ手が来ます。とにかく逃げます,追っ手も確実に詰め寄ります。何度も捕まりそうになりますが,元カノをはじめ旧友の手助けを受けてなんとか逃げます。殺されそうになります。でも奇抜に逃げます。ひたすら逃げ続けるのです。果たして,青柳は逃げ切ることが出来るのか?・・・
作品には目次があり,「事件のはじまり」「事件の視聴者」「事件から20年後」「事件」「事件から三ヶ月後」という時系列を行きつ戻りつさせての5部構成で描かれています。回想シーンをはじめとして,文章は伏線だらけで無駄がありません。あとで,そういうことか,と唸らせます。是非,流し読みでなくて丹念に読んで楽しんで頂きたい「私の一冊」です。ラストは,「痴漢は死ね」「たいへんよくできました」です。えっ,なんだって?スミマセン,答えは作品の中にあります。
なお,ゴールデンスランバーはビートルズのポール・マッカートニーが作った曲名のことです。
作者は1971年千葉県松戸市生まれ,東北大卒,仙台市在住。ミステリ作家。コンピューター会社でSEとして働く傍ら,96年「陽気なギャングが地球を回す」でサントリーミステリー大賞佳作,00年「オーデュボンの祈り」で新潮ミステリー倶楽部賞を受賞して作家専念。以下,新作を出せば賞を取るがごとく,04年「アヒルと鴨のコインロッカー」で吉川英治文学新人賞,「死に神の精度」で日本推理作家協会賞,08年本作品で本屋大賞,山本周五郎賞を各受賞。彼の作品は過去何度も直木賞候補とされましたが,本作品では執筆に専念したいとの理由で直木賞候補そのものを辞退しています。直木賞の当落の知らせのセレモニーに耐えきれなくなったものともいわれています。
彼の作品は,ビジュアル化に適しているものが多く,既に7作品が映画化されており,中でも本作品は主人公青柳に堺雅人,元カノ竹内結子で大ヒットしました。ちなみに,原作を既に読んでいましたが娘と劇場へ行きました。それでも,ついついラストで目から汗が出て,娘に笑われてしまいました。映画を観て,また読み直しました。いろんな伏線が改めて理解できて読み切るのがもったいないくらいでした。絶対自信の秀作です(了)。

私の一冊について
福岡県弁護士会所属 弁護士 中山栄治が、日々の読書感想やゴルフ体験を綴ったコラムです。