家康は僻地江戸をどのように建設したのでしょうか
門井慶喜(かどい よしのぶ)「家康、江戸を建てる」祥伝社
作者の門井さんですが、1971年11月群馬県生まれ、その後栃木県宇都宮市で育ちます。大学は京都は同志社大学の文学部卒業。2000年から文学賞の応募を始めて2003年「キッドナッパーズ」で第42回オール読物推理小説新人賞を受賞され、デビューです。失礼ながらこれといって目立った作品はなかったのですが、推理小説のほか、伊藤博文、榎本武揚、坂本竜馬の妻おりょうなどの歴史的人物を主人公にした歴史小説や歴史推理小説も書かれており、今回紹介する作品もその系譜に属するものです。
江戸時代は1603年に家康が征夷大将軍に任命された時に始まり以降、最後の将軍慶喜で明治維新の1868年を迎え、265年もの太平の世が続きました。江戸幕府が開かれてから100年を経た1700年代には江戸の人口は100万人以上となり、日本だけではなく世界でも最大の人口を誇っておりました。ちなみに当時の大阪、京都の人口はそれぞれ40万人程度でした。53もの宿場を有する東海道は世界最大の賑わいを見せていたといわれています。本作品は史実に基づき、この江戸を建設する巨大プロジェクトを描いたものです。
物語は秀吉の家康に対する領地替えの命令に始まります。大河ドラマ「真田丸」でも映像化されていましたが、天正18年、豊臣秀吉は天下統一の仕上げとして、小田原北条攻めをします。このシーンで、落ちゆく小田原城を眺めながら秀吉は家康を連れションに誘います。そこで、秀吉は家康に対して、軽く「見渡す限りの北条家の関八州240万石の所領を貴殿に差し上げよう」と囁きます。関八州の地、そこは、水浸しの低湿地が多い未開発の広大な土地だったのですが、そのまま使える有効面積はさほど広くありませんでした。何より、現在の家康の豊潤な所領である駿河、遠江(とおとうみ)、三河、甲斐、信濃のすべてを召し上げられる、つまり交換ということだったのでした。余りといえばあまりにひどい秀吉の要求でしたが、家康は家臣団の猛反対に拘わらず、「関東にはのぞみがある」としてこれを受けいれます。
家康は未開の地、江戸を大きく変えるというよりその建設に着手します。作品は家康に命じられた技術官僚の立場から着目した5つの短編連作となっています。第1話は大地の低湿地対策のため、利根川の流れを変えるための大工事を描いた「流れを変える」。川の流れを変えるためには新たな川を掘ってそこを支流としなければなりません。果たしてうまくいくのでしょうか。
第2話は当時秀吉が独占していた通貨の鋳造を新通貨の小判を武器に通貨戦争を仕掛ける「金貨を延べる」。小判をご覧になったことがあるでしょうか。いろんな書き込みなどがありますがその意味が分かります。
当時の土木技術を活かして現在の井の頭公園の池から神田上水の建設の過程を描いた第3話「飲み水を引く」。高低差によって水に流れを作ることは簡単ですが、レベルの場合どうやって水の流れを作るのでしょうか。
江戸城の築城のための巨大な石垣をどこからどのように調達して江戸まで輸送し、どうやってを巨岩を積んでいくのかを描いた第4話「石垣を積む」。 ピラミッドほどではありませんが、現在の皇居に残る江戸城の膨大な石垣はどのようにして作られたのでしょうか。
江戸城の天守閣築造をめぐるエピソードである第5話「天守を起こす」 の5話です。天守閣とは何のためのものだったのでしょうか。信長は天守閣で日常生活をしていたといわれていますが…
本作品は史実を忠実に物語に織り込んでおり、東京の現在の地名の由来などもよくわかり、読者をしてどこまでが本当でどこが創作かがわからずに、ついついすべてが本当にあったことなんだと楽しませてくれます。また、この本を読むことによって家康の江戸建設の史実を勉強させてくれますので知識欲も大いにを満たしてくれること請け合いです。何せ知識は知らないよりは知っていた方が楽しいというだけのことですが自己満足させてくれることに違いありません。
門井さんは「東京帝大叡古教授」が2015年の直木賞候補となり、本作品は、ご自身2作目の2016年の直木賞候補となっていましたが、残念ながら受賞には至りませんりました。ちなみに、この時の直木賞受賞作は荻原浩さんの「海の見える理髪店」でした。
単行本で1944円、400頁です。娯楽小説を読むということは単純に遊んでいることと同じことだと思います。どうか多いに遊んでください(了)。

私の一冊について
福岡県弁護士会所属 弁護士 中山栄治が、日々の読書感想やゴルフ体験を綴ったコラムです。