人はなぜ山に登るのか
夢枕獏「神々の山嶺(いただき)」上下巻、集英社文庫
夢枕さんといえば、SF作家、エッセイストであり、写真家でもあることで有名ですね。1951年1月1日神奈川県小田原市生まれ、東海大学文学部卒業で現在65歳です。10歳の時から小説家を志望されていたそうで、大学卒業後は出版社の編集者にでもなって物書きを目指す予定だったそうです。ところが、大学卒業後就職そのものに失敗して、しばらくは山小屋で働いていたそうです。釣りや旅行が趣味で、実際ヒマラヤ登山をしたりアラスカの原野をさまよったりとかなりハードな冒険も体験されています。作家としては1977年にあの筒井康隆さんが主宰する同人誌に「カエルの死」という作品を発表してにデビューです。その後、1984年に「魔獣狩り」シリーズを発表してベストセラー作家となります。さらに88年には野村万斉さんで映画化された阿部晴明の「陰陽師シリーズ」などの発表によりその地位を不動のものとされています。
ご本人曰く、自分の作風については「エロスとバイオレンスとオカルト作家」とのことです。その作風からすれば、本作品はドキュメンタリータッチであり全く異質なものです。才能豊かな方なんですね。
さて作品紹介です。
世界一高い山エベレスト、標高8848メートル。空気は薄く、酸素濃度は地上の3分の1ほどしかありません。最低気温マイナス60度、強風となれば風速は60メートルにもなります。飛行機はこの高度を飛ぶことができますが、ヘリコプターは飛ぶことができません。空気が薄くて揚力を得ることができず、ホバリングできないのです。ちなみにヘリは高度4、5千メートルでの飛行が限界といわれています。
エベレストという名称は、イギリス東インド会社インド測量局(山の高さを測量する部局)の長官を務めたジョージ・エベレスト大佐の名前がその由来となり、この山が世界最高峰と判明した1856年に命名されました。チベット語ではチョモランマ、ネパール語ではサガルマータといいます。
この世界最高の山頂を制覇するため世界の覇者イギリスは遠征隊を1920年代から派遣し、多くの犠牲者を出しました。そして1953年になってようやく初制覇がなされます。初制覇したのはエドモンド・ヒラリーとそのシェルパを務めたテンジン・ノルゲイの二人でした。日本隊はというと1970年に松浦輝夫と植村直己が初登頂を果たしています。
本作品は実在する人物をもとに史実を織り交ぜたフィクション作品となっています。
史実ですが、ジョージ・マロリーという方をご存知でしょうか
「なぜ山に登るのか」といわれたらその答えは何ですか?
・・・「それがそこにあるから」
そう、その答えを遺したのが、レジェンド、ジョージ・マロリーだったのです。彼は1923年、イギリスによるエベレスト第3次遠征隊に加わり、アーヴィンとともに最終キャンプ地からの山頂アタック隊に命じられます。そしてこれに挑戦しますが遭難し行方不明となりました。ところが、彼らが遭難したのは登頂を果たした後なのか前なのかについて謎が残ります。当時、アタック隊はカメラを携行しており遭難した彼らの遺体が見つかれば、携行したカメラのフィルムから登頂の成否が分かるはずだというのです。すなわち、その成否によってはエベレスト初登頂の歴史的記録が30年も前に塗り替えられることとなるのです。
この歴史的なミステリーが前提となって、時は現在の日本。折しも登山仲間とエベレストに遠征した主人公深町のパーティーは2人の滑落死者を出して登頂に失敗します。カメラマンを務めていた深町は失意のままネパールのカトマンズにとどまり、あてどもなくさまよっていたときに、古い登山用品などを商っている店先で年代物の壊れたカメラを見つけます。
深町は職業上そのカメラが、かのマロリーが遺した謎のカメラではないかと直感して購入します。但し、カメラにはフィルムは残っていませんでした。ところが、その夜ホテルで盗難に遭いそのカメラを盗まれてしまいます。深町はカメラの行方を追ううちに、そのカメラはビカール・サンと呼ばれる日本人が所有していてそれが盗まれてさらに故買されていたものを自分が購入したことを知ります。紆余曲折をたどり、カメラはビカール・サンの元に戻ることとなりますが、そのビカール・サンこそは、かつて日本で数々の記録を残した著名な登山家であって、日本のヒマラヤ遠征隊に属しエベレスト登頂がかなわず失踪した羽生丈二その人であることが判明します。
深町は帰国し、現地でカメラを取り戻して再び消えたビカール・サンこと羽生丈二を徹底的に調べ、彼がどうしてカトマンズにいたのかを探ります。その中で、どうして羽生が失われたマロリーのカメラを所持しているのかについて察知します。そうして深町は、単身、羽生を求めてネパールに飛びます。羽生は一人で一体何をやろうとしているのか、羽生という人物の調査の中であらゆる事実が浮き彫りにされてゆき、ついに羽生が前人未到の冬季エベレスト南西壁を単独かつ無酸素で登頂することを企てていることを知ります。 はたして誰もなしえなかった羽生の企ては成功するのか、カメラの真実は何だったのか。その結末は読んでから自分で確認してください。
本作品は、「エヴェレスト神々の山嶺」とのタイトルで今年の3月に映画公開されました。主演は羽生役の阿部寛と深町役の岡田准一で、現実にヒマラヤの5000メートル級の高地でロケを敢行しました。映画はまだ見ていませんが、小説はかなりの長編大作ですので、映画のわずか120分くらいの尺で十分に描き切ることができたのかが心配です。
いずれ、DVDで見る予定です。
なお、本作品は1998年の柴田錬三郎賞を受賞しています。夢枕さんはこの作品を書くために作家になったと自負されています。果たして、山岳流行作家の新田次郎さん亡き後、彼の遺した席を夢枕さんが座ることができたのでしょうか(了)。

私の一冊について
福岡県弁護士会所属 弁護士 中山栄治が、日々の読書感想やゴルフ体験を綴ったコラムです。