中山栄治「私の一冊」

中国にもつい100年前まで皇帝がいました。

浅田次郎「蒼穹の昴」講談社

作者の浅田さんといえば、ご本人はご自分をして「ハゲ、デブ、メガネ」と表現して、いつも着流しでご愛嬌のある風貌です。浅田さんは、少年時から読書家で作家を目指して、職を転々としながら、なんと自衛隊員も経験してそれでも小説を書き続け、それが1991年、40歳にしてようやく「とられてたまるか」というやくざもので作家デビューです。95年には私の大好きな「地下鉄に乗って」で吉川英治文学新人賞を受賞されました。以来、飛ぶ鳥を落とす勢いで、97年に「鉄道員 ぽっぽや」で直木賞、「壬生義士伝」で柴田錬三郎賞、「中原の虹」で吉川英治文学賞などなど数多くの文学賞を総取りしています。

ご紹介する「蒼穹の昴」は96年の作品ですが、直木賞候補にはなり、必勝のはずだったのですがどういうわけか落選でした。翌年発表の「鉄道員」でめでたく直木賞受賞に相成っています。

さて「蒼穹の昴」ですが、中国は清の時代末期の1886年から99年までの13年間を切り取った歴史小説です。ご存知、中国6000年の歴史は古代文明に遡ることができますが、中国を初めて統一し、万里の長城を築いた始皇帝は今からおよそ2300年前の紀元前3世紀の人でした。今回の舞台となっている清という国は1600年初めに満州女真族を発祥とする愛新覚羅一族により建国されました。日本でいえば徳川幕府開幕の年ですね。滅亡した明が築城した紫禁城に入城し、約300年にわたり中国を統治しました。紫禁城最後の主は、あの西太后により最後の皇帝として指名された愛新覚羅溥儀です。即位したときは3歳にもなっていませんでした。その後1911年に孫文らによる辛亥革命により清に代わって成立したのが中華民国であり、さらに第2次世界大戦後、毛沢東による中華人民共和国建国となり現在に至っています。

「蒼穹の昴」を読むにあたって知っていただきたい豆知識があります。舞台が中国ですので科挙制度と宦官です。

まず科挙ですが、6世紀の隋の時代から1905年の清朝まで続いた官僚の登用試験のことですが、合格競争率が3000倍で合格者の平均年齢が36歳くらいだったといわれています。日本で最も難しいと言われた司法試験が、私の受験時代(昭和60年)で競争率が30〜40倍くらいで合格者の平均年齢が28歳でしたから、もちろん科挙が地球上で一番難しい試験であったことがよくわかります。

次に宦官ですが、「去勢した官吏のこと」ですが、科挙をパスしなくても皇帝や後宮に仕えることによって権力を手にすることもできました。中国の科挙制度の下では科挙合格者以外で官吏登用の道は宦官にしか開かれていなかったため、自ら死をかけて宦官を志望するものも多かったといいいます。何と去勢後の余後が悪くて亡くなった率は3割と言われています。いずれの制度も物語の中でその実態が出てきますので詳細については本編に譲ります。

さてあらすじです。極貧の農家に育った少年春児(ちゅんる)は馬の糞を拾ってそれを乾燥させて燃料として売って生計を立てていました。ある日、ちゅんるは村に住む年老いた女占師により「汝を守護する星はえびすの星、昴であり、汝は遠からず都に上がり紫禁城の奥深くにある帝のお側近くに仕えることになるであろう、そしてやがて中華の財物のことごとくをその手中に絡め取るであろう」と予言されます。この占い師はの予言は的中することで有名なのですが、ちゅんるに対するこの予言は、ちゅんるを励まそうとして言った嘘だったのでした。しかし、そうとも知らずちゅんるは宮廷を目指し宦官になることを決意します。そうして、いつか残した家族に富を持ち帰ろうと、母、病んでいる兄と幼い妹を捨てて一人、ひとり村を出て自ら去勢します。一方、村の長の子である文秀は科挙を目指して試験勉強に明け暮れていましたが、文秀はちゅんるの亡くなった兄との間で義兄弟の契りを交わしていました。そういう縁で何かとちゅんるの面倒を見てくれていました。やがて文秀は科挙に合格して、都に出て高級官僚の道を登り始めます。ちゅんるも宦官として宮廷に仕えるべく苦労の毎日でした。

折しも清は長い間鎖国政策をとり産業革命を受け入れなかったために、国家としての成長から取り残され、アヘン戦争などを通じアジア植民地政策をとる欧米諸国から格好のターゲットとされていたのでした。日清戦争により進出してきた日本も例外ではありませんでした。刻々と迫る清王朝滅亡の歴史を背景に清王朝内部では、実権を握る西太后とこれを引退させようとする反西太后派との対立がありました。やがてちゅんると文秀もこの対立にいやおうなしに巻き込まれることとなります。

物語は史実をベースとして歴史上実在の人物、例えば時の皇帝や李鴻章、袁世凱、毛沢東、伊藤博文などと架空の人物をミックスとして練り上げられており、まさに本当にあった史実を読んでいる錯覚にとらわれてしまいました。さてこ運命に翻弄される二人の行く末は如何にといった感じですがいかがでしょうか。

弁護士 中山 栄治

私の一冊について

福岡県弁護士会所属 弁護士 中山栄治が、日々の読書感想やゴルフ体験を綴ったコラムです。