中山栄治「私の一冊」

突然、あなたの秘密が本で暴かれたら?

ルネ・ナイト「夏の沈黙」東京創元社

作者ルネ・ナイトさんは、ロンドン在住の女性作家で、この作品は著者のデビュー作です。著者は、イギリスのBBCでドキュメンタリー番組のディレクター等を経て、テレビや映画の台本を手がけていました。その後、台本作家としての創作活動の興味が高じてBBCを退職、2013年には出版社の開設した小説創作コースで学び、そのうえで初めて書いた小説が本作品です。この方、知る人ぞ知る才能が認められて、本作品が処女作に拘わらず、敏腕プロデューサーのバックアップのもとアメリカ、カナダをはじめフランス、ドイツ、イタリア、ノルウェイ、デンマーク、オランダ、ギリシャ、スペイン、ポルトガル、ポーランド、ルーマニアに至るヨーロッパから南米ブラジル、日本など25か国で同時発売という破格の大型新人です。

さてその作品内容ですが、偶然、手にした一冊に自分の過去が描かれていたとしたら、しかもそれは自分の記憶の中では封印された秘密の出来事だったとしたら・・・。というのが本作品のテーマです。

テレビのドキュメンタリー番組を制作している主人公キャサリン、弁護士の夫と出来はいいとはいえないけれどば愛する息子に囲まれ、順風満帆な生活を送っていました。ところが、引っ越しをして、荷物の片付けをしていたとき、荷物の中から何気なく手に取った一冊の本、読んでみるとすぐにひきつけられ、その本の主人公が自分自身であることに気づき、激しい動揺に襲われます。それに追い打ちをかけるようにその本には、「生死にかかわらず実在の人物に類似している点があるとすれば…」という思わせぶりな断りが記してありました。そこにはご丁寧にも赤い線までひかれていたのです。その本のタイトルは「生きずりの人」でした。著者はプレストンという男性ですが、心当たりがありません。そこに書かれていたのは何と20年前に現実にキャサリンの身に起こった忌まわしい事件だったのです。20年前、キャサリンに一体何が起こったのか、今となってはその事実を知っているのはキャサリンをおいてほかにはいないはず。なのにこの本は、その事件を知る関係者の何者かが、キャサリンに対する強い明確な悪意をもって、これを暴露するために書いたとして思われません。しかも興味本位な小説仕立てになってはいるものの、記されている事実は、周辺の事実関係も含めて、キャサリンからすれば当事者の一方から光を当てたに過ぎない欺瞞に満ちたものでした。この本は、悪意ある何者かによって、キャサリンの息子に届けられ、そして夫へも送られて読まれることになります。本を読んだキャサリンの愛すべき家族の反応はいかに・・・。一気に恐慌に陥ってしまうキャサリンでした。この本は誰がどのようにして書いたのか、その謎は次第に解き明かされていきます。

少しだけヒントを言うと、現像されることもないままにあるカメラに残されていたフィルムがプリントされたとき、そこに映し出された画像には、キャサリンが映し出されていました。この写真はあらゆることを想像の世界として描くことができるのでした。写真はどういう事実を語るのか、物語の後半に向けて、この本がどのようにして書かれたのかについて謎解きがなされるとともに、キャサリンの真実が明らかになります。

本書は、2013年春を現在軸としてキャサリンに「行きずりの人」が届けられて、キャサリンの周辺に混乱が生じ、キャサリン自身の反撃が始まりますが、一方で「行きずりの人」の作者の独白により、過去から現在に向けてどのようにしてこの本を書き上げ、キャサリンに届けられたのかについて、そこに至る経緯が明らかにされていくという2つの場面構成からなっています。そうして時間軸は一体となって、2013年秋に事件は収束します。その結論はいかに、といった感じですがいかがでしょうか。

本書の原題はディスクレーマーで、直訳すると「予め責任を否定して免責されることを宣言すること」となりますが、読み終わってみてタイトルに照らすとなるほどとも思いました。できれば読後もう一度読んでみてください。短い文章に隠されたあらゆる伏線がちりばめられていることに気づきます。前評判通りの傑作と言っていいと思います。297頁、一気読み間違いなしの極上のサスペンスをお楽しみください(了)。

弁護士 中山 栄治

私の一冊について

福岡県弁護士会所属 弁護士 中山栄治が、日々の読書感想やゴルフ体験を綴ったコラムです。