死を目前にした男の生きざまとは
「殉愛」 百田尚樹 幻冬舎
今回はノンフィクションです。あの「海賊と呼ばれた男」「永遠のゼロ」でおなじみ、今やベストセラー作家となった百田尚樹さんの最新作です。
やしきたかじんさんについてご存知ですか。
彼の本職は歌手なんですが、世に出るまでには大変苦労されています。30歳間際にして歌手はもうやめようと決意して最後の記念に、いつかプロの歌手としてコンサートを開きたいと思っていた大舞台である大阪フェスティバルホールで行われた大阪大衆音楽祭の予選に出て通過パスします。予選通過は競争率500倍を超えていました。決戦当日の参加者は21組、その中には、アイ・ジョージや渚ゆう子、子門真人、小坂明子等の後のビックネームも出場していました。彼は、ここで10分近くもある「ながばなし」という曲でグランプリをとっています。そこから、歌手として本格デビューするのですが、「やっぱ好きやねん」「東京」で認知されるようになるのはさらに10年の歳月を要しました。しかし、ここからは快進撃でお笑いタレント、MC としても活躍、「たかじん胸いっぱい」「たかじんのそこまで行って委員会」「たかじんのマネーブラック」で関西の視聴率王といわれていました。
ご存じのとおり今年の1月3日に食道がんでお亡くなりになりました。享年64歳でした。ところで、たかじんさんは亡くなる3か月前の昨年10月10日に32歳年下のさくらさんという女性と入籍されていたことから、その死後、多くの週刊誌やスポーツ紙がお相手の女性を非難する記事を掲載しました。いわく「遺産10億円握った結婚生活3か月疑惑の未亡人」とか「やはり遺産が目当てで…実母落胆させた32歳年下嫁の言葉」「未亡人は韓国人元ホステスだった」などなどです。
このような記事が本当なのかどうかはこの本を読んでいただければすぐにわかりますが、一点だけ先にお教えしますと、たかじんさんはなくなる数日前に弁護士を呼んでビデオまで回して危急遺言書を作成しています。危急遺言とは死に瀕して公正証書遺言とか普通の遺言書を作成するいとまがない場合に証人2人と作成者の計3人を立ち会わせて遺言者本人から遺言内容を聞き取るというものですが、この遺言書によれば、数億に上る預金は大阪市などに全額寄付されることとなっており、さくらさんに残されたのは大阪と東京のマンションの権利その他だけでした。
たかじんさんはそれまでにバツ2だったのですが、彼の酒の飲みっぷりと女性関係は数々の武勇伝を残しています。「新地の帝王」といわれた彼は毎晩のように飲み歩き、一つの店に5分というペースで一杯飲んでは次というペースで一晩に何十件という店を梯子をしていたといいます。明け方まで飲み歩き毎晩何十万と使い、一晩に500万円使ったこともあるといいます。
ある日友人二人と飲み歩いているときに暴力バーにひっかかったことがあって、ビール2本飲んで5万円の請求を受けた時、彼は「お前ら暴力バーやないんか、それやのにビール2本5万円とは俺をなめてんのか、10万くらいの勘定書きもってこんかい」と言って、10万円を置いて帰ったそうです。これには、店を出るとき若い連中がずらり顔を出して頭を下げたそうです。
彼は2回の結婚生活で一人の娘さんを設けていますが、「自分は2度と結婚はしない」と公言していました。彼は決して特定の恋人は作らず、常に10人近くの遊び相手を身の回りにおいていながらもスキャンダルになるような遊び方をしなかったのです。
自分は60歳までに死ぬと公言し、ヘビースモーカーで酒も浴びるほど飲み「太く短く」の信条で60歳以降の人生はおまけみたいなものというのが口癖だったのです。
そんな彼が、61歳で発病します。 実際、たかじんさんがさくらさんとはじめて出会ったのは亡くなる2年前だったのです。知り合ってほどなくたかじんさんの食道がんが発覚したのでした。ですからお二人の2年間は闘病生活の2年間だったのです。さくらさんはたかじんさんの看病にすべてをささげたといっても過言ではありません。
本書はたかじんさんが残した膨大なメモ、さくらさんが記していた数十冊にも及ぶ看護ノート、作者自ら300時間もの取材によって得た情報をもとに記した感動の愛の物語です。私は、東京と千葉出張の移動中に読んでいたのですが、帰りの飛行機の中で本書のラストを迎えました。もちろん、お隣の乗客に知れないようにハンカチを使ってしまいました。414頁1728円です。どうかおひとりでひっそりお読みください。なお、百田尚樹さんのプルフィールについては私の一冊(20)をご参照ください(了)。

私の一冊について
福岡県弁護士会所属 弁護士 中山栄治が、日々の読書感想やゴルフ体験を綴ったコラムです。