中山栄治「私の一冊」

時間を超える純愛って?

佐藤正午 「 Y 」 ハルキ文庫

いつものように本題とは関係ありませんが,遺跡の発掘現場において,その時代にはあり得ないものが発見されることがあります。いわゆる「オーパーツ」(Out Of Place Artifacts)といわれています。これらの発見は,異星人や未来人の到来,過去における別人類の存在の痕跡として指摘されます。確かに地球36億年の歴史の中で,我々人類の歴史はわずかここ1万年にしか過ぎないわけですから,人類が何度も発生→滅亡を繰り返していたとしても不思議はありませんよね。夢あるオーパーツの発見は大歓迎です。ナスカの地上絵,アステカのクリスタルスカル(映画インディジョーンズに出てました),日本では宇宙服姿とされる遮光器土偶(青森亀が岡発掘)とか。未来人は言うまでもなくタイムマシンでやって来たということになります。

さて今回紹介するのはタイムスリップものです。著者は,55年長崎県佐世保市生まれ,北海道大学中退,現在も佐世保市在住。正午という名前は,深夜まで起きて,毎朝遅めに起きるという規則正しいて生活をしている彼が,正午のサイレンとともに小説を書いていることから取ったそうです。私が大学を卒業した84年にデビュー作「永遠の1/2」ですばる文学賞受賞。同作品は時任三郎と大竹しのぶ主演で映画化。司法試験の受験勉強に打ち込んでいた当時,私は知る由もありません。私が彼の作品を初めて手にしたのは11年前のことで,冒頭の作品の単行本でした。書店で帯に書かれていた紹介文に惹かれて購入。読後,間もなく当時発表済みの彼の全作品約20冊を収集,購入して読み耽りました。文章にユーモアが溢れており,とにかくおもしろいに尽きます。いよいよ脱線は深まりますが,おもしろいエピソードがあります。彼は94年の異常な暑さの夏,西日本新聞にエッセイを毎日連載していました。50音にちなんで「あ」から「を」までの合計50回です(例えば「あ」のテーマは「ありのすさび」,「い」のテーマは「犬の耳」)。この「ひ」の回でのことでした。前日の掲載文は,「は」で「ハーブ」がテーマでした。作中,毎日暑すぎて連載を続けるのが辛くなったことをぼやきながら,最後のくだりが「・・・僕はリフレッシュのためしばらく休ませて頂く。これから電話で篠崎まことさん(漫画家)に明日の代役を頼み,異国の風のもとのハーブ茶でも買い求めて,それから海水浴がてらちょいと旅に出よう」としてまとめ,問題の「ひ」では「ピンチヒッター」というテーマで「ゆうべ外出先から戻ったところ,留守番電話に「代役を頼む」と佐藤さんからメッセージが入っていて驚いちゃいました。「冗談でしょう?」と半信半疑で新聞社に電話したところ,文化部のデスクという人が「ハハハ冗談じゃないみたいですよ,今日のところは篠崎さんにお願いします,うん何でもいいんだ,どうせ誰も読んじゃあいないんだから・・・」」さらに翌日の「ピンチヒッター2」では「突然ですが諫早に住んでいる山田です(カメラマン)・・・聞くところによると,佐藤さんは夏ばてで仕事を放り出して海水浴か何かに出かけたそうです。でもほんの数日前にあったときはとても元気でした。何しろ1人で鰻の蒲焼きを2人前食べたくらいですから・・・」と筆者が夏ばてのためピンチヒッターを立てたという掲載2回分について,読者から新聞社に対して,電話やFAXによる抗議が殺到したというのです。この連絡を受けた彼は,本当に暗澹たる気分になったそうです。おわかりでしょうか・・・。実はすべてはネタとして書かれたもので,代役などいなかったのです。なのに,読者は本当に彼が仕事を放り出して海水浴に出かけたと思いこんだのでした。彼のエッセイの内容にそれほど真実味があったということの証左です。興味ある人は「ありのすさび」(光文社文庫)をご一読ください。

ところで作品です。本作品は,主人公が命をかけてタイムスリップするというものです。場所は下北沢プラットホーム,電車が着き,乗降客が入れ違い,発車のベルが鳴り,ドアが閉まり,また電車が動き出す。雨の中を走る電車。まもなく大事故に遭遇し車両前部に多くの死傷者が出ます。

いわゆる時空ものの小説は多く,古くは筒井康隆の「時をかける少女」「七瀬再び」は楽しめました。超能力だったり,物理的な事故現象だったり。物理科学的には時間のひずみが発生しうることは,かのアインシュタインも指摘しており,タイムマシンを作ることも可能だといわれています。ただ現在の科学ではまだ無理。本作品では,科学的な根拠はそっちのけでとにかくタイムスリップは主人公に起こってしまうのです。初めはほんの数秒からはじまって,どんどんスリップする時間が延びてくるようになるのです。ストーリーの性格上,これから読もうとする方のために,余り深入りできません。どういうきっかけから起こるのか。過去に戻って歴史を変えてしまうことができるのか。パラレルワールドは存在するのか。人は誰でも「あのときこうすればよかった」と悔やみます。もし意図的にタイムスリップすることができるとするならば,後悔のない過去にすり替えることができることになります。だけど,完全に悔いのないベストな選択ばかりの人生なんてあるのでしょうか。また,それは人生として味あるものなのでしょうか。なんて考えたりしました。

以下抜粋です。「たったの1分でいい,彼女の運命を狂わせる1分前に戻って,彼女が生きるはずだった,当たり前の人生を取り戻すチャンスが欲しい・・・記号で表せばアルファベットのYの文字みたいに,18年前のあの晩を分岐点にして,右と左へ全く違った人生を送ることになるだろう・・・僕はそれで構わない・・・彼女のためなら自分のこの現実なんか,僕のこの18年間の人生なんか捨ててしまってもいい・・・」 どうでしょう,あなたは愛する人のために自分を犠牲にしてまで訳のわからない新たな未来を築くという選択ができますか?

なお,恋人がある日失踪してしまったことを題材にした著者の「ジャンプ」も奇想天外でおもしろかったです(了)。

弁護士 中山 栄治

私の一冊について

福岡県弁護士会所属 弁護士 中山栄治が、日々の読書感想やゴルフ体験を綴ったコラムです。