辞書の作り方
三浦しをん 「舟を編む」 光文社
何か調べものをするとき,昔は図書館などに行ったりしたもんですが,今はまずパソコンにあたりますよね。最近,広辞苑とか国語辞典とかの辞書を引いたことありますか?
辞書には規模にもよりますが,普通に中学生が使用している国語辞典で多くて約10万項目くらい収録されていますが,あれって誰が作っているんでしょうか?
それに作るのって,すごい大変そうですよね。一冊の辞書が出版されるまでにどれくらいの時間を要すると思われますか?
日本で近代国語辞典をはじめて作成したのは国語学者の大槻文彦さんで,書名は言葉の海と書いて「言海」,完成したのは明治初期の1886年のことでした。たった1人で17年間かかったんだそうです。文部省に属し,明治政府からの命で作成したのですが,公費出版されることはなく,後に自費出版されました。この「言海」は芥川龍之介や開高健が愛読していたことで有名なんだそうです。
辞書で最も大規模なのは,1972年刊行の小学館の「日本国語大辞典」です。200名以上の執筆者により12年の歳月をかけて実に45万項目を収録していました。これに改訂を重ね,現在は50万項目を収録しています。辞書は出版社の威信をかけて各分野の学者や専門家が原稿を書き,これをもとに編集され,監修者がチェックする方法で地道に作成されます。通常の刊行物は,ゲラは1回から2回校正して印刷されるますが,辞典の場合は,間違いないよう5回も校正され,その度に手が加えられるといいます。
さて本作品です。話題になったのでご存じかとも思いますが,本書は要は辞典ができるまでの過程を作り手の立場から綴られたものですが,苦労もありますが,それでいて人間味が溢れるほのぼのする小説となっています。総合出版社玄武書房に勤める定年間際の荒木公平。彼の人生は辞書に捧げられてきたと言っても過言ではありませんでした。入社して以来37年間にわたり,辞書編集部の編集者として,国語学者の元大学教授,松本先生とともに数多くの小辞典を手がけました。 心残りは広辞苑や大辞林に並ぶ中辞典の刊行をしたことがないことでした。そんな彼は,社内営業部に変人としてもてあまされていた馬締光也(通称マジメ)に辞書編集者としての才を見いだします。社内最後の仕事としてマジメを辞書編集部に引き抜き荒木の後釜に据え,松本先生とともに新しい辞典,大きく渡る海と書いて「大渡海」刊行の夢を託すのでした。そのマジメ君は大学院で言語学を専攻し入社3年目27才独身でした。松本先生は編集者として,いつ何時でも用例採取カードなるものを持ち歩いて,知らない言葉を聞くとすぐに書き込むという習慣を持つ徹底した辞書人間でした。これをもとに採取した言葉を辞書に載せるかどうかを検討するのです。松本先生と荒木は「辞書は言葉の海を渡る舟だ」「海を渡るにふさわしい舟を編む」とこれから作るべき「大渡海」に込めた思いを語ります。これに共感し,その日からマジメ君の事実上たった1人での奮闘努力がはじまります。しかし,問題が山積する辞書編集部。その戦いがまさか15年にも及ぶことになろうとは,読者としても驚くばかりです。その間,マジメ君は恋をし,周囲には去る人あり,訪れる人ありで容赦なく時は流れていきます。こうして,辞典編集も佳境に入ってきます。果たして,辞典「大渡海」は完成するのか。という感じですが,いかがでしょうか。
学校では,子どもたちに何でもパソコンに頼るのではなくて紙ベースの辞典を引く運動をしているそうです。今回のこの一冊でどうか辞書の魅力を感じてみてください。
本作品は2012年の「本屋さん大賞」を受賞,2012年の小説部門の売り上げナンバーワンとなりました。来春には松田龍平と宮崎あおいの主演で映画公開されます。作者の三浦さんは早大第1文学部卒,98年就職活動で入社試験を受けた出版者の担当者から,試験での作文で文才を見いだされ,間もなく小説を書き始めたといいます。2000年作家デビュー,06年に「まほろ駅前多田便利軒」で29歳の若さで直木賞を受賞しています。現在36歳(了)。

私の一冊について
福岡県弁護士会所属 弁護士 中山栄治が、日々の読書感想やゴルフ体験を綴ったコラムです。