中山栄治「私の一冊」

日本にもアメリカンドリームを掴む時代がありました。

渡辺房男 「儲けすぎた男,小説安田善次郎」 文芸秋春

東京大学の安田講堂をご存知でしょうか。大正の頃,東京帝国大学の卒業式には,毎年天皇陛下が出席していて,この式典にふさわしい講堂をとの,大学側の要望に応じ,これを寄付したのが安田善次郎です。鉄筋コンクリート造り4階建て地上40メートルの高さを誇ります。建設費用は,当時の金銭で100万円,現在の貨幣価値にして約4億円になるということです。

安田善次郎といえば幕末,明治,大正にわたって活躍した商人で,東大安田講堂のほかは日比谷公会堂の建設費用を寄付したことでも知られています。このうち東大の安田講堂の建築は大正11年12月に着工されたものの折しも翌12年9月の関東大震災にあい工事は中断,幸いにも建物には大きな被害もなく,大正14年7月に竣工となりました。しかし,善次郎自身は安田講堂の寄付を申し入れた大正10年9月28日に,安田講堂の竣工を見ることもなく,神奈川県大磯の別邸で暴漢により刺殺されています。享年84歳でした。

善次郎は安田銀行(現みずほ銀行),安田火災海上保険(現損保ジャパン),明治安田生命,安田倉庫等安田財閥の創始者としても有名です。 財閥と言えば三井や住友のようにもともと豪商であったりとか,三菱の岩崎弥太郎のように幕末に藩の御用商人として栄えたものが有名ですが,善次郎は異色でした。彼は富山の最下級士族に生まれ,藩校などとも無縁で,何らの後ろ盾のないままに19歳でひとり郷里から出奔します。江戸に出て,両替商の小僧からの見事な立身出世ぶりは,当時,太閤秀吉に倣い「今太閤」とも言われ,その自伝がベストセラーとなったほどでした。

善次郎が手がけた両替商って,どんな仕事かおわかりになりますか?その名の通り,お金を両替することによってその手数料を得る仕事なのです。時代は幕末,にぎり寿司がひとつ8文,かけそば一杯が16文でした。1文はご存じ銭形平次の穴あきの寛永銭です。1文銭の上は,4文の寛永なみ銭,100文の天保銭,そして小判一枚一両が4000文だったのです。ほかに分金や朱銀がありましたが,もちろんこれらには銭相場があり,わずかながらの変動を利用してもうけを出すのです。すなわち安く仕入れた1文銭を多額の両替に回して相場による利ざやと手数料を稼ぐのです。庶民に密着した銭湯や駄菓子屋,八百屋などの小さい店は釣り銭として1文や4文などの銭が必要です。100文の天保銭を出されて釣り銭が出せないでは商売にはならないからです。善次郎はそこに目をつけて毎日,たった1人で大八車に麻袋に入れた5両分ほどの銭を乗せて出前による銭両替屋を営むことを考えつきました。また,銭を扱う毎日の中で偽金を見分ける目を培います。こうして銭両替屋から身を起こして,三井,住友,三菱に並ぶ本両替商にまで登り詰めるのです。政府から鑑札を与えられる本両替商は,客からお金を預かり,お金を貸しつけることを認められます。ほとんど今の銀行の原型ですが,銀行となるのは物語の中でもまだ先のお話しです。

時代は維新を迎え,善次郎は各藩が発行してその価値が下落した藩札,維新政府が発行した太政官札に目をつけてこれを安く買いあさります。その後,その読みのとおり額面で政府発行の貨幣と交換することができるようになります。こうして取得価格の倍以上をぼろもうけします。という風にとにかく儲けまくります。 その儲け様はまさに痛快です。この小説を読むことにより,彼が生き抜いた時代,すなわち,近代日本の誕生と生成の姿を経済と金融の局面から見ることができます。勉強にもなります。

なお,著者渡辺房男の略歴につきましては,私の一冊(8)をご参照頂ければ幸いです(了)。

弁護士 中山 栄治

私の一冊について

福岡県弁護士会所属 弁護士 中山栄治が、日々の読書感想やゴルフ体験を綴ったコラムです。