中山栄治「私の一冊」

縁切寺の正しい利用方法

井上ひさし 「東慶寺花だより」 文藝春秋

世の中には二種類の人間しかいません。そう,男と女です。男と女の話といえば,色恋沙汰です。もちろん,わが日本国憲法では自由恋愛が基本的人権として保障されていますから,男女が軽く遊びで付き合おうと,自他共に認める恋仲になろうとそれは自由です。いまどき男女同権の世なんです。だから,男女を問わずそれなりの理由なんかなくたって,「あの人が私の前で平気でおならをするのが嫌い」とか,「ただなんか一緒にいるのが嫌」とか,「別に好きな人が出来たから」とかで,一方的に別れを宣言するのも法律上は全くOKなんです。お互い独身で,婚約とかしていなければ足枷は何もないのが原則です。ただ,一歩踏み込んでしまって,お二人の合意により喜び勇んで役所に婚姻届出をして戸籍に記載されますと,幸か不幸かめでたくも法律上,婚姻が成立します。このステップにいたりますれば,「離婚」,すなわち夫婦関係を法律上解消するのは,なかなか面倒になります。はじまりの婚姻届出は男女互いの合意に基づくものですが,やはり終わりの離婚も同じで,相手が離婚届用紙に合意のうえサインしてくれなければ離婚は成立しないのが原則なんです。さあ困った,どうしよう,次のお相手はそう長くは待ってくれません。お腹も大きくなってきたりします。サスペンスドラマよろしく,最悪,刃傷沙汰になったり,いろいろ問題が起こって紛糾することもあります。こんな場合に備えて,民法により例えば,相手方が「不貞を働いた」とか,「酒に酔っていつも暴力を振るう」とか,「家出してずっと帰ってこない」とか,その他社会一般の常識からして,当事者夫婦がどうしても婚姻関係を継続し難いような重大な理由があれば,離婚理由のある相手方に対して,裁判に訴えて判決による強制離婚を勝ち取ることが出来るのです。でも,自分には大きな比がなくて相手方に一定の理由が必要ですし,さらにすぐに裁判出来るのではありません。前提として調停といって,家庭裁判所の選任した調停員に夫婦の間に入ってもらって話し合いによる解決をめざし,それでも話が付かないときにはじめて正式裁判を起こすことが出来るという仕組みになっているのです。ということで,相手が離婚にすんなり応じてくれなければ相当な費用と時間がかかること請け合いです。「ああ,嫌だ,こんなことなら結婚なんてするんじゃなかった」って声が聞こえてきそうですね。と,これまで言い連ねてきたのは現世のお話でした。

さて,むかしむかしは封建社会,江戸の世はどうだったでしょうか。知ってましたか?何をって,要は,世間の夫は勝手に妻を離縁できましたが,妻にはそれが出来なかったのです。えっ,それって不公平であんまりではないですか。そんなとき女性はどうすればいいのですか?そうです,そこで駆け込み寺たる縁切寺の登場です。

なんと縁切寺法というものが幕府の寺社奉行のもとで施行されていたのです。仔細はこうです。夫との離縁を望む妻が東慶寺のような縁切寺に一旦駆け込んでしまうと,よもや夫は妻を連れ戻すことが出来なくなります。寺では妻の言い分を聞いて復縁する意思がないことを確認した上で,強制的に夫を呼び出します。そして,夫をはじめとした当事者から事情を聞いて,離縁を成立させる方向で夫を説得します。ここで夫が説得に応じれば,作法に従い,いわゆる三行半(みくだりはん)にわたる離縁状を書かせます。これにより晴れて離縁(内済離縁)が成立し,夫と妻とは赤の他人となり離縁状が再婚許可証となって,妻は誰とでも再婚できるようになります。夫が離縁の説得に応じない場合は,妻は縁切寺において,2年間にわたり尼としてのお勤めを続けることが出来れば,晴れて離縁成立(寺法離縁)となるのでした。しかし,ことは簡単ではありません。尼としてのお勤めは,文字どおり尼僧と同じ修行をすることを意味します。座禅を組む,お経を写す,それを読む。掃除,洗濯,針仕事,庭仕事,その他雑用の山,食物も肉,魚,酒に五辛といわれるにんにく,ねぎ,にら,あさつき,らっきょうが禁じられているのです。こういう辛みや臭みのあるものを食べると,色欲が起こるからというのが禁止されていた理由なのです。また,縁切寺で離縁の訴えを取り上げてもらうためには当然費用もかかるのです。お取り上げ料とお役人への手数料として各銭1貫文(1貫文=1000文),御門番へ銭100文,併せて最低でも銭2100文もかかるのです。江戸中期当時の貨幣価値は,米一石(1000合=150㎏)が金1両で,銀にして60匁,銭にすると4貫文~5貫文となっていました。ちなみに手間職人の給料が月4~6貫文くらいです。また,金1両を現在の貨幣価値に換算するのは,当時の物価の変動から難しいのですが,平均的には約4万円くらいともいわれています。この縁切寺法はなんと明治維新によって,法律上女性からの離婚請求も認められるようになる明治6年まで続いたといいます。

今回ご紹介するタイトルにある東慶寺は実在するお寺で,鎌倉時代の1285年,北条貞時により真言宗の尼寺として建立されたとされています。開山から明治36年までは代々尼寺でした。物語の時代は臨済宗円覚寺派の尼寺として,徳川御三家水戸のお殿様の側室の娘法秀尼が院代を務めていたそうです。

本作品は,縁切寺である東慶寺への駆け込み案件15話が納められています。語り部は当時の作家修行中の若者です。縁切りをしたい妻の理由とはいったいどんなことなのか,その理由には,えっ,と思わせるような様々な人間模様があります。本書を読んでいると,それぞれの物語はまるで本当のことを取材して綴られたような錯覚にとらわれてしまいます。本書の参考文献は100冊にも及んでおり,その取材の緻密さに基づく情報量の豊富さに,読むものをして知識欲を満たしてくれ,得した気分にさせてくれます。私は,本書を読書仲間からのオススメで読んだものですが,年初からいい本を読ませていただきました。

作者については,余りにも有名で多くを紹介するまでもないでしょう。私は,中学1年の時に作者の作品をはじめて読みました。自身の少年時代の自伝的作品である「青葉繁れる」でした。作品の内容はほとんど忘れていますが,身近な女子同級生に作品を重ねて異性を感じたのを覚えています。

1934年山形県生まれ,5歳で父と死別してカトリック修道会の孤児院で育つ。貧しい中で働きながら休学と復学をして最終的に上智大学仏文科卒業。直ちに放送作家として活動し64年から「ひょっこりひょうたん島」(NHK)を手がける。これは5年間にわたり,国民的人気番組に。ほかに忍者ハットリくん,ムーミン,ひみつのアッコちゃん等数多く制作し,劇作家,小説家としても大活躍。日本藝術院会員,日本ペンクラブ会長をはじめとして,文芸界の重鎮を数多く歴任。数多くの文学賞も受賞。2010年4月9日肺ガンにて死去,享年75歳。昨年読んだ作者の「ボローニャ紀行」も秀作です(了)。

弁護士 中山 栄治

私の一冊について

福岡県弁護士会所属 弁護士 中山栄治が、日々の読書感想やゴルフ体験を綴ったコラムです。