将棋界を覗いてみませんか。
瀬川昌司 「泣き虫しょったんの奇跡 完全版」 講談社文庫
将棋といえば、いまや、天才少年の名をほしいままにしている14歳1か月という史上最年少でプロ棋士となった藤井聡太君ですよね。すごいですね。彼のおかげで将棋界が活気づいて日本将棋連盟もほくほくして大変喜ばしい限りです。4段としてプロデビューしてまだ2年ですが、光速で既に7段になっています。いずれ羽生さんを破る日がやってくるのでしょうね。
ということで本日ご紹介するのは、ノンフィクションの自伝的小説です。講談社文庫から瀬川昌司「泣き虫しょったんの奇跡 完全版」です。2010年の発刊です。ちなみに完全版でない初版は2006年の発刊でした。 本作品は実話として、映画としても封切られています。ますます父の優作さんに似てきた松田龍平さん主役です。
作者の瀬川昌司さんは、現職のプロ棋士です。2005年に4段としてプロデビューして14年も経っていますが、こちらは藤井君と違って現在まだ5段です。1970年生まれの49歳独身。横浜市出身、神奈川大学法学部夜間部卒業が最終学歴です。年齢的には佐藤康光9段(永世棋聖)、故村山聖9段らと同じく強豪の羽生世代に属します。小学5年生の時に将棋に夢中となり、中学3年生の時に全国中学生選抜選手権大会で優勝しています。その後、奨励会に入会して22歳で3段リーグに昇格するも4段に昇段できずに退会。将棋とは縁を切り大学に入学して普通のサラリーマンになります。その後夢諦めきれず、彼を支援してくれる仲間たちとともに活動して、35歳にしてアマから編入してプロ棋士となっています。
さてストーリーをご紹介する前に、本作品をより楽しんでいただく予備知識として奨励会についてご説明させていただきます。正式名称は新進棋士奨励会といって日本将棋連盟のプロ棋士養成機関です。奨励会に入るには年に一回行われる入会試験に合格する必要があります。受験資格は満19歳以下でプロ棋士から推薦を受けることが必要です。試験は二次までと面接、書類審査があります。 合格して奨励会に入会すると6級から始まり対戦により好成績を収め3段まで達すると3段リーグ戦に出場することができます。ここで原則として東西含めて毎年半期に上位2名(1年に計4名)が4段に昇段してプロになることができるのです。3段リーグでは原則として満26歳までに4段に昇段することができなければ退会となります。ちなみに3段リーグ突破の最年少記録は冒頭で述べた話題の藤井聡太の14歳1か月です。永世7冠に加え国民栄誉賞を受賞した天才羽生善治さんは奨励会入会が小学6年生、3段リーグ突破は藤井君よりも1年以上遅い15歳と3か月でした。というわけで奨励会に入って3段リーグまで達したのち、満26歳までに年に二人という枠に入れなければプロ棋士になれないのです。 以上がプロ棋士になるための条件です。
作者の瀬川さんはその通り、3段リーグから昇段できずに奨励会を退会したのでした。本作品は、その彼の半生について前書きあとがきを除いて5つの章からなっています。第1章が、小学校時代の恩師のこと、第2章がライバルのこと、第3章が奨励会の日々、第4章が、奨励会を退会してからの苦悩と再生までの軌跡が、そして第5章はプロになってからの後日談です。この中には本当に実話なのって疑いたくなるほどの感動のエピソードが詰まっています。その何の一つを披露すると、彼が再びプロに挑戦する機会を与えられるにあたったては、羽生善治さんの力添えがあったということが意外であり感動的でもありました。
以上からストーリーの概要がご理解いただけると思いますが、将棋界では、プロ棋士の人口は現在わずか約160名くらいしかいないそうです。それもそうですよね。プロ棋士になれるのは年に4人しかいないのですから。それでいて年収はというと主として対局料が収入源となるのですが、400万から1億くらいで平均すると7〜800万円だそうです。そんな将棋界に入ろうと努力しても報われなければその人のその後の人生は果たしてどうなるのでしょうか。とても憂鬱ですよね。 ついつい、司法試験のことを思い出してしまいました。私の受験当時、2次試験の合格者は約500名で、合格率は5%の狭き門でした。私みたいに奇蹟的に運よく合格した人はいいのですが、受験歴10年以上という人も多くいました。そして周囲の見知った受験生は一人また一人とドロップアウトしていくのです。私自身一体いつになったら受かるんだろうかと暗澹たる日々を重ねていたくらいです。本書を読んでいて将棋界の厳しさから、ここいう世界には入りたくない、いや入れない。なんでこんな選択をするんだろう、異人の世界は理解できないねって感じですがいかがでしょうか。いずれにしろ作者の瀬川さんの熱意と努力には感服しました。ちなみに瀬川さんが切り開いた、アマから直接プロになるプロ編入試験によって瀬川さん以降にプロになった人は一人です。2015年の今泉健司さんで、プロ入門41歳でした。今泉さんは2018年7月15日に放映されたNHK杯であの藤井聡太7段に勝っています。史上最長年で棋士になった今泉が史上最年少で棋士になった藤井に勝った瞬間でした。
本日は講談社文庫から瀬川昌司作「泣き虫しょったんの奇跡、完全版」をご紹介しました。文庫本で352頁、691円です(了)。

私の一冊について
福岡県弁護士会所属 弁護士 中山栄治が、日々の読書感想やゴルフ体験を綴ったコラムです。