中山栄治「私の一冊」

「今」とは,一体いつのことなんだろう,なんて考えたことありますか。

冲方 丁(うぶかた とう)「天地明察」角川書店

シリーズ3号となった今回は,昨年末出版されてベストセラーとなった「天地明察」をまじめにご紹介します。この作品は吉川英治文学新人賞と本屋大賞をダブルで受賞しています。著者は,早稲田在学中に作家デビューですが,主にゲームやアニメを制作しており,本作品が初めての大作ということです。まだ30代半ばとか。

地球が1年かけて太陽の回りを一周するのが公転で,一日かけて自ら1周するのが自転というということを子どもの頃,理科で習いました。では,1日が24時間であり,1年が365日であるというのはどのようにして決められたのでしょうか。

平安時代から徳川4代家綱時代までの約800年間にわたり,日本の暦は,唐から輸入された太陰暦である「宣明暦」というものが用いられていました。この暦法によれば1年の長さは365.2446日。しかしながら,天文学者の間で地動説が確信されていた江戸時代初期当時,天体を観測して公転周期1年として算定したところ,この暦法では誤差が生じており,わずかに長くなっていることがわかっていました。その誤差は100年間で約0.24日,800年間で実に2日間先行していたのでした。つまり当時,暦上,たとえば冬至と定めた日を基準とすると,その2日も前に,最も影が長くなる本当の冬至が過ぎていたということです。当然のことながら人々は暦をもとに生活しており,この誤差は,基幹産業を農業とする農民に大きな影響を与えていました。そこで,地方では,有力者により宣明暦をもとに創意工夫した独自の暦法が編み出されていました。なので,誤差修正のため,暦法を改めるとともに全国的に統一する必要性があったわけです。ところが,当時,暦法を支配していたのは幕府ではなく朝廷であり,御上(おかみ)詔勅をもって「改暦の儀」を命じなければ変えることができません。一方,毎年年末年始には,新年の暦が神社において頒布販売されており,この頒布数は当時の全国の所帯数に匹敵する莫大な数でした。仮に暦法を改訂して幕府が新たな暦の販売の利に預かることができるとすれば,当時疲弊に喘ぎかけていた財政再建にも大きな切り札となるわけです。そのような社会情勢を背景に,時の為政者保科正之から改暦作業を命ぜられた安井算哲(のちに改め渋川春海)の半生を,史実に則り描いた時代小説が本書です。彼は20年もの歳月をかけて,当時,最高の精度といわれた大帝国蒙古による授時暦をもとに大和暦(貞享暦)を作ります。作中では,歴史上の著名人で徳川秀忠のご落胤保科正之,水戸黄門光圀,和算の確立者関孝和が登場して脇を固めます。驚くべきことに当時の算術は,世界的にも最先端を行っており,この算術は天体の観測や暦の計算に不可欠なものでした。ちょっぴりですが,恋ありの人間模様がほっとさせます。さて,算哲はプロ棋士でありながら,趣味が高じた算術家であり天文学者でした。当時の棋界は,将軍家お抱えの碁打ち衆と呼ばれた安井家,本因坊家をはじめとする4家があり,碁のルールは後手白番に5目半のハンディはなく全くの互戦でした。さらに,多くは敬意を表して上位者が黒先だったのです。先手必勝の言葉どおり,黒が勝つのも当たり前です。しかしながら,算哲が黒先で初手天元を打って,当時最強といわれた本因坊道策に破れ,これを機に初手天元が封じられることとなったのは史実として有名らしいです。その後,算哲は改暦に没頭する余りか,初手天元を打たなくなってからも道策には全く雪辱できまないまま,棋界を去っています。

タイトルの明察とは,誤謬の反対語で算術などで使われる正解という意味です。天地明察は天と地における完全なる正解を意味することになります。

尚,算哲の大和暦は70年間用いられ,その後3度の改暦を経ました。そして,明治初年頃以降現在も,1年を365日とし,4年に1回閏年366日として誤差を修正する太陽暦(グレゴリオ暦・西暦)が用いられていることはご存じのとおりです。天体,数学などのいろんなことを知識として改めて理解させてくれる読み甲斐のあるオススメの一冊,474頁。涙なしでどうぞ(了)。

弁護士 中山 栄治

私の一冊について

福岡県弁護士会所属 弁護士 中山栄治が、日々の読書感想やゴルフ体験を綴ったコラムです。